- 発行年月日:2011年11月10日
- 発行元:筑摩書房
- シリーズ:ちくま学芸文庫
原著は1986年6月10日に筑摩書房から刊行。このとき含まれていたトクヴィルの命題とフーコーの命題の2つは、文庫版収録に著者の了解が得られず割愛となったとのこと(「文庫版へのあとがき」424ページ)。「参考文献」のところは、現時点でデータを補ったとされている。
序言 #
本書の主旨は、社会学のこれまでの歴史のなかで生み出され議論を呼び生き残ってきた「命題」を集めること(=「社会学的判断の目録を作ること」)とされる。そのことによって、社会学の具体的なイメージをもたらし、「社会学とは何か」を示す。
ただし、社会学の著名な「命題」すべてを網羅することは不可能なので、「一般理論」にかかわる48の命題(7つのカテゴリーに配列)に限定。そのなかには、社会学の特定の領域にかかわるものや社会学者ではない人によって出された命題も、一般理論に通じていたり社会学者によって受け入れられ議論されてきたものは含めている。
また、なるべく「面白い」命題を選んだとされる。「面白い」とは「意外性」ないし「非自明性」のことで、常識をなんからのかたちでひっくり返しているもの。とはいえ、意外性がなくても著名であることをも考慮している。加えて、「面白い」といっても、説得性ないし実証性を伴っているもの。
社会的存在としての人間 #
1 自我の社会性
- G・H・ミードの命題。ミード自身の簡単な紹介がないのは不親切かも。
- 自我の「創発的内省」と「社会性」との関係が難しい。新たなものを創発する「内省」がどこからどのように可能になるのか、よくわからない。また、それが「社会性」と言われることも、なかなか理解しづらい。ミード自身もそれほど明確には論じていないとされているけど……。
2 人間の攻撃性
- K・ローレンツの命題。
- 攻撃性について、常識をくつがえした論点が3つ指摘されている。かなり面白い。①動物の攻撃性の分析、②攻撃性のプラスの側面の強調、③攻撃性を本能ととらえること。
- ただ、心理学(?)の主流からは全否定されており、その背景には、西欧的人間観を転覆させた点への反発があったと思想史的に推測されている。
- 攻撃性についての現在の研究がどうなっているのか、調べてみたいところ。
3 抑圧と文化の理論
- S・フロイトの命題。
- フロイト理論の最も興味深い点として、2つの逆接が指摘され、それぞれ詳しく説明されている。①行為者は自分の行為の真の動機を自覚できない(自身にとって隠れた動機がある)、②文明・文化はより幸福であるために形成されたものではなく、人間は文化の中でより不幸を経験する。
- それぞれの説明は難解。フロイト理論を手短にまとめることがそもそも難しいのかも。
- ただ、上記①②は、一般に社会を考えるときに大事な観点と言えるかもしれない。
4 文化としての性差
- M・ミードの命題。
- ただ、本文では、ミードだけでなく、J・マネー、S・B・フルディと合わせて論じられている。
- ミードの議論のポイントは、フロイトの女性論のアンチテーゼと理解できる点とされ、男性が女性に頂く恐怖や羨望や不安(=「男性における生物学的劣等性」)を根底として、男性優位の社会学的性差・文化装置が生み出されたと捉えられる。
- より重要なのは、後半で説明されている点だろう。生物学的事実、生物学的性差それ自体、社会的構成物であり、文化的に学習されるものということ。
5 動機の語彙
- C・W・ミルズの命題。
- ポイントは、人間の行為の「動機」を、その行為者の内的状態(内面?)としてみる(内在論)のではなく、「語彙」、つまりボキャブラリーとして行為者の外側に位置づけた(外在論)点とされる。動機に関する一定の「類型的な語彙」が社会にはすでにあり、その既成の語彙を使って人は自分や他者の行為を説明し理解しようとしているということ。私たちは既成の語彙を使って行為に動機を「付与」している。
- 動機付与は日常生活では習慣的に無意識的になされるが、その一方で、動機が意識的かつ戦略的に表明されることもある。それにより、コンフリクトの回避・解消という「統合的機能」や、行為を一定の方向に規制する「統制的機能」がはたらきうる。
- 語彙であるからには、その習得も問題になるし、また、その歴史的変化も問題になる。
- 動機の語彙は、たいへん社会学らしいというか、非常に面白い考え方だと思う。最後でも少しふれられているが、研究の展開をもっと知りたい。
6 相関主義
- K・マンハイムの命題。
- マンハイムのイデオロギー論と相関主義の立場の概要を紹介したうえで、それに対する代表的批判としてK・R・ポパーの議論を取り上げ、さらに両者の近さを指摘、科学史・科学論のパラダイム論とのかかわりを最後にふれている。議論の流れが整理されている印象。
- 個人の背景的心理を明らかにするいわば心理学的な部分的イデオロギー、個人の背後の社会集団・社会構造と関係づける社会学的な全体的イデオロギーの議論はわかりやすい気もする。
- ただ、そこから相対主義に陥らないための相関主義の考え方、またそれを担う主体としての(広い意味の)知識人というところは、よく理解できない。
7 自己呈示のドラマツルギー
- E・ゴフマンの命題。
- 日常生活のさまざまな場面で、自分自身についての情報を相手に伝える「自己呈示」が行われるが、そのほとんどの場合に「演技」の要素が含まれていることについての議論。
- ゴフマンの議論をもとに、「演技」をする関心(つまり理由)には2つのタイプがあること、個々人だけでなく複数の人間が共同で「演技」することがあること、「演技」が「成功」するための条件が説明されている。とても整理されているし、日常の具体的なやりとりがきれいに分析されるようで、なるほどと思う。
- 最後にこの命題の面白さが指摘されているが、常識を概念装置で整理し定式化したとしているのは、なかなか厳しい(とはいえ、それを否定的に評しているわけではないが)。